のりおの声

2019年11月

 早いもので今年も後2ヶ月を残すところとなりました。今年は大型台風がこれまであまり襲来したことのない地域にも大きな爪痕を残すことになりました。被災された地域の方々には心からお見舞い申し上げます。
 それにしても、この国は他国からは海を隔てていることもあって、直接的な外敵の侵入は免れてきましたが、その代りと言っては何ですが、災害はありとあらゆるメニューが揃っていると思わざるを得ません。災害から国民を守ることは政治の最大の使命の一つであることを今さらながら実感させられた年でした。
 ところで、今国会では、例の「身の丈」発言以来?、英語の試験の民間委託の延期もあって、大学受験の在り方が議論を呼んでいます。
 どうして日本人は、通常少なくとも中・高校と6年間も英語を勉強しながら、話すことも聴くことも苦手なのか? もちろん日本では読むことや書くことに英語教育の重点が置かれて喋ること聴くことに重点が置かれてこなかったという実態もあるでしょう。しかし、私に言わせると、それは日本人が日本国内で生活をしていくうえで、これまで英語に限らず外国語を習得する必要性を感じなかったからだと思います。言葉を変えて言えば、日本が(島国である上に)大国だったからだと思います。ヨーロッパでも少なくともEUができる前はドイツやフランスのような大国の人ほど外国語が苦手で、スイスやオランダや北欧諸国の人達の方がより外国語に堪能でした。今はどうなのか詳しくは承知していませんが、アメリカの大学に留学するための英語のテスト(TOEFL)では以前はオランダがトップだったと思います。日本の国内事情は、外国人観光客が増えるなど多少は変化しつつあるとは言え、そんなに大きく変化しているとは思えません。しかし、これからはそうはいかない可能性が大です。否応なく外国との交流が増えていかざるを得ません。
 民間業者に試験を委託することの是非云々以前に、我々が考えないといけないのは日本がどうやって国際化を進めていくかということではないでしょうか。大学入試だけシステムを変えてみても、簡単にみんなが英語を話せる、聴けるようになるわけではないと思います。外国語はせっかく習得しても使わなければどんどんダメになっていきます。古い話で恐縮ですが、もう40年ほども前にアメリカの大学に留学していましたが、自分でも一番英語ができたのは帰国した直後だったと思います。
 これからは自動翻訳機や通訳機ができて、自分で話す聴くをやらなくても済むようになると言う方もいるかもしれませんが、言葉は意味を伝えるだけではなく、微妙なニュアンスや感情を伝える役割もあります。これは自動翻訳機ではできない、と私は思います。だからこそ外国語を聴く話す能力はやっぱり必要なのではないでしょうか。
 天皇、皇后両陛下が通訳なしで外国からの賓客と話されたことがニュースになったり、ワイドショーで取り上げられたりするような状況はそろそろ抜け出さないといけないのではないでしょうか。

2019年10月

 空を見上げると、明らかに秋の気配が漂っていますが、今年は10月に入ったというのにまだ半袖が必要な陽気ですねぇ。
 それはともかく、今回は近頃私が気になっていることを一つ。消費税?日韓関係?米中貿易摩擦?環境問題?財政問題?災害対策?経済成長?等々。どれも重要な問題ですが、今回取り上げるのはそのいずれでもありません。気になっているのは、日本型組織の在り方、というか在り様といった方がいいかもしれません。
 私は高度成長の後半から石油ショック、バブルの時代、そしてその崩壊、いわば日本の絶頂期からその凋落の頃まで30年近く国の役所で働いてきました。安い給料で夜遅くまで働き、それでもあまり文句を言う人もいませんでした。役所の場合は自分の言いたいことを言い、良い(と信じる)政策を実現するという喜びがあったからのように思います。民間企業でも会社に貢献することを信じて仕事をしてきた人が多かったのではないでしょうか。
当時は、学校を出てある組織の一員となれば、定年に達するか、辞めろと言われるまでその組織に所属し続けるのが普通だったと思います。いわば組織のために滅私奉公するのが当たり前、その代り組織の方もそれに答えるだけのモノを用意してくれた時代でした。
 しかし、様相は一変しました。バブル崩壊からリーマンショックを経て急速なグローバル化とIT化の進展、そして少子高齢化と労働力不足の時代へと周辺環境は大きく変化しました。何しろ昔と比べて変化のスピードがとんでもなく速くなっています。そんな状況に対処するためには、昔ながらの組織の対応で済むはずがありません。それに若い人たちの意識も変わってきています。滅私奉公的に死ぬまで働けなんて言ってみたところで、そんなやり方は通用しなくなってきています。
 私がおかしいと思うのは、いまだに日本の企業も役所も就職活動の解禁日を横並びで決めたり、4月1日に揃って入社式や入省式をやっていることです。いまだに新卒者優先の就職活動が横行しているのは不思議です。企業も役所も採りたい時に必要な人を採ればいいのではないでしょうか。こんなことをやっているのはトップが昔ながらの考えから抜け切れてないからではないでしょうか。これでは急速な変化に対応なんかできるはずがありません。組織の活性化のためには何が必要なのか、この辺で我々もよく考えてみないといけないかもしれません。昔ながらのやり方では企業は目先の需要ばかり追いかけ、新商品の開発など及びもつかないでしょう。現に日本企業は長らく世界に通用するようなヒット商品を出せないでいますし、役所は締め付けが厳しいのか、思い切った政策が打ち出せないままに右往左往しているような気がします。いずれにしても、目先の問題への対処だけではなく、長い目で見てこの国にとって何が必要なのか、何をすべきなのか、そのためには柔軟な組織運営が求められる時代になってきているのではないでしょうか。
これは結構深刻な問題のように思うのですが。

2019年9月

 まだまだ暑い日が続きますが、さしもの8月中あれだけ猛威を振るった酷暑もおさまりかけようとしているように思います。それにしてもあの猛暑の中思ったのは、来年のオリンピック・パラリンピックをこんな気候でやって大丈夫だろうか、ということです。いつからオリンピックを真夏(北半球の話ですが)にやるようになったのでしょうか。前の東京オリンピックは10月で、大変爽やかな天気の中行われたのを思い出します。夏休みでテレビの視聴率が取れるし、高い放映料が期待できるという商業主義のなせるわざなのでしょうか。
それにしても今から心配になってしまいます。
 それはともかくとして、昨今毎日のように新聞、テレビをにぎわせているのが日韓関係です。特に韓国が日韓GSOMIA(軍事情報包括保護協定)を破棄すると宣言してからは、日韓のみならずアメリカも巻き込んで議論がかまびすしくなってきました。韓国国内の政治状況もあるのでしょうが、まさかそこまでと思われていただけに、日本もアメリカも驚いたというか、あきれてしまったというのが本当のところではないでしょうか。それを尻目に北朝鮮は短距離弾道ミサイルを打ち続けています。こんなことをして誰が喜ぶのか、今の東アジアを取り巻く安全保障環境を冷静に判断すべきだと思います。いくら日本政府の対応が気に入らなくとも、こんなに感情的に反応していては大きなものを見落としてしまうのではないでしょうか。これはなにも韓国だけではなく、日本側も同じことが言えると思います。
それにしても、マスコミの報道にはよくよく注意しなければいけないと思います。テレビのワイドショーなどだけ見ていると、韓国の国民の大多数が日本に対して怒っていて、一触即発のような印象を受けますが、そんなことありえないし、まして若い世代の人達は、これは日韓両国ともそうだと思いますが、結構冷静に受け止めているのではないでしょうか。またそうあってほしいものだと思います。問題はマスコミ報道であり、また一部の政治家の無責任な発言だと思います。
 もう戦後74年、日韓関係が正常化してからでも半世紀以上が経過しています。そろそろお互いに成熟した、特に若い世代の人達が未来志向で良好な関係を築いていかないといけない段階にきているのではないでしょうか。最近つくづくそう思います。
 最後に、長い歴史の中で、当たり前の話ですが、日本の外交は常に朝鮮半島をめぐって動いてきました。何故かと言えば、朝鮮半島の安定が日本の平和につながり、朝鮮半島の不安定が日本の安全の不安定化につながってきました。もちろん現在はもっと広い範囲で物事を見なければなりませんが、日本の安全保障にとっての朝鮮半島の重要性は今も何ら変わっていません。そのことを常に頭の中において対応していかなければならないと思います。
 近視眼的な、感情的な行動だけは厳に慎むべきではないでしょうか。ちょっと心配な思いをしている今日この頃です。

2019年8月

 長い梅雨がやっと明けたと思ったら、猛烈な暑さが襲ってきましたが、お変わりありませんでしょうか。7月の参議院選挙では大変なご支援をいただきましたこと、遅ればせながら改めて厚く御礼申し上げます。
 さて、夏休みでもありますし、今回はちょっと音楽の話でもさせていただこうかと思います。
 私が音楽、いわゆるクラッシック音楽ですが、を聴き始めたのは、中学一年の頃だったでしょうか。音楽好きの友人の影響で初めてベートーベンやシューベルトの音楽に接するようになりました。しかし、当時レコードの値段は高く、新譜ですとLP一枚2千円、廉価版でも12百円もしました。月に一枚買うのがやっとで、その代り、手に入れたレコードは文字通り私にとっては宝物で、繰り返し繰り返し聴いたものです。もう今は当時のレコードに針を落とすことはめったにありませんが、今でも大事に取ってあって時折りジャケットを眺めたりして懐かしんだりしています。
若いころはモーツアルトやシューベルトはなんだか軟弱なような気がしてなかなか食指が伸びず、いささか一面的ではありますが、ベートーベン流の苦悩から葛藤を経て勝利へといったどちらかと言えば雄渾な音楽に強く惹かれた覚えがあります。しかし、この頃になって、モーツアルトやシューベルトの、それも晩年のものが心に響くようになってきました。モーツアルトの曲はシンプルですが、きっと演奏する人にとっては難しいんだろうなという気がします。楽譜に書かれていない音をどう表現するかがとっても難しいように思えます。
モーツアルトも若死にですが、シューベルトはもっと若く31歳でこの世を去っています。
その彼が忍び寄る死の影を知ってか知らずか絞り出すように(私にはそう聞こえて仕方ありません)書いた最後の2曲のピアノソナタや、弦楽5重奏曲などには魂を揺すぶられてしまいます。モーツアルトは晩年の作でも、深くはありますが、もう少し明るい曲調のものがあるように思います。中でもクラリネットというチャーミングな楽器を使った協奏曲や5重奏曲は私の愛好して止まない曲です。
地元と東京の往き帰りの電車の中で聴くこれらの音楽に、束の間、心が洗われるような気がします。そして、自分自身も含めて、人間っていつももっと純な気持ちでいられたらいいのになあ、などと柄にもなく思ったりしてしまいます。
いつまでたっても、同じ間違いや過ちを繰り返し犯している人の世ですが、たまには穏やかな気分で改めて来し方行く末を見つめなおしてみる機会があってもいいのかな、などと思います。

酷暑の候、なにとぞご自愛ください。

2019年7月

 ものすごい警備の中で行われたG20も無事に終わったかと思ったら、トランプ大統領のツイッターに端を発する?衝撃的な米朝会談に世界中が驚かされることになりました。どれほど下準備がなされていたのか、本当に突然だったのか真相はよく分かりませんが、大サプライズであったことは間違いありません。何しろ、アメリカの現職大統領が初めて北朝鮮の地に足を踏み入れたのですから。今後どのような展開が待っているのか知りようもありませんが、交渉が再開されることは間違いないでしょう。それにしても、トランプ大統領というのは人騒がせな人だと思います。
 もう一つ、日本にとってはこちらの方が大事かもしれないことは、トランプ大統領が記者会見の場で、日米安保条約が不平等だと言ったことです。前からそれらしいことは米国内では言っていたようですが、国外でしかも記者会見のような公の場で言ったのは記憶にありません。これが今後の日米貿易交渉で日本から大幅な譲歩を引き出すための単なる脅しなのか、それとも本気でそう思っているのかよく分かりませんが、人間思ってもいないことは口には出さないものではないでしょうか。ひょっとするとトランプ大統領は、これまで日米安保条約の立てつけ、つまり日本は基地を提供する代わりにアメリカは日本を守るという仕組みをあまりよく知らなかったのかもしれません。普通、安保条約と言えば相互防衛が原則ですから、ひょっとすると大統領になるまで日米安保条約もそうだと思っていたのかもしれません。これは一般のアメリカ国民もそう思っている人が少なくないのではないかという可能性があります。また、冷戦時代と違って、同時にアメリカの国力が相対的に低下している中で、日本はアメリカが本当に守るべき価値のある国なのかという疑問も出てきているのかもしれません。トランプ大統領のように理念よりも実益、世界の平和と安定よりも自国の利益を優先させる人にとっては、自然な疑問なのかもしれません。問題はアメリカ国民の大半がそう思い始めた時にどうなるかということではないでしょうか。
 軍事面だけではなく、資源が乏しく、他の国と隔絶され、周囲は核武装した国々に囲まれた島国の日本にとって、総合的な安全保障政策は不可欠です。今まではアメリカに頼っていればよかったのでしょうが、そのアメリカがこれまでの日米安全保障体制に疑問を投げかけたのが、今回の記者会見だったと思います。あれは単なるブラフで、そう深刻に受け止める必要はないと意見もあろうかと思いますが、私が気になるのは、一般のアメリカ国民の受け止め方です。
 日本もそろそろ長い間の思考停止状態から抜け出して、独自の総合的な安全保障戦略を考える時期に来ているのかもしれません。
ただ、私自身もまだよく分かってはいないのですが、しかし少なくとも軍事面だけが突出したような選択肢だけは避けるべきだとは思っています。
難しい時代になってきました。

2019年6月

 このコラムの4月号で40歳以上の引きこもりの人達が60万人以上いることを書いたばかりでしたが、そんな中、引きこもりの人をめぐる痛ましい事件が立て続けに起こってしまいました。一つは言うまでもなく川崎市登戸の無差別殺傷事件、そしてもう一つは元農林水産省事務次官の息子刺殺事件です。起こった事件はいずれも痛ましく、弁解の余地は全くありません。しかし、私たちが考えないといけないのは、どうしてこんな事件が起きてしまったのか、ではないでしょうか。登戸事件の犯人も熊沢元次官の息子も40歳を過ぎた、世間でいうところのいい大人を通り越している年齢です。二つの事件を通じて私が思ったのは、人間いくつになっても子供時代の環境や体験からは逃れられないんだなあ、ということでした。
 両者はしかし育った環境は全く違います。登戸事件の犯人は、子供の頃に親が離婚し、父母どちらにも引き取られず叔父夫婦に預けられて育ちました。差別もあったようですが、基本的には誰からも本当の愛情を受けられずに育ったような気がします。他方、元次官の息子は、傍目には人もうらやむエリート家庭で育てられたわけですが、おそらく子供の時から親の過大な期待と重圧に苦しめられていたのではないでしょうか。こちらも本当の意味で子供に愛情を注いでいたのかどうか疑問を抱かざるを得ません。どちらも誰か親身になって話を聞いたり、相談に乗ってやれる人がいたらこんな事態は防げたのではないかとおもってしまいます。
 これはどこでも誰でも言えることかもしれませんが、子供はなかなか親の思う通りにはならないものです。しかし、大抵の親にとって子供はかけがえのない大事な大事な存在であることは間違いありません。幼い時に思いっきり可愛がられた子供は、しっかりと愛されたという記憶が残って、大人になっても自信をもって世の中に出ていくことができるし、また人に対して優しく接することもできると思います。
 親が子供にできることは実はそんなに多くはないのかもしれません。親にできることは、精一杯子供を可愛がってやり、あとは子供を信じて好きなことをやらせてやるくらいのことなのかもしれません。
 二つの痛ましい事件を通じて感じたことは、あなたはこの世の中で一人ではないんだ、あなたを必要としている人もいる、ということを伝えられるような仕組みを作らなければいけないなあ、ということでした。
 事件の犠牲になられた方には心からご冥福をお祈りいたします。
やり場のない悲しみで胸が一杯です。

2019年5月

 元号も令和に改まり、新天皇も即位されて新しい御代を迎えることになりました。昭和の二十年代に生まれた私などから見ると、平成の30年間はあっという間に過ぎ去ったような気がします。実際には冷戦の終結やバブルの崩壊、大きな災害や実にいろんなことが起こったのですが、過ぎてみるとあっという間だったなあと思います。人間の一生なんてものも多分過ぎ去ってみればあっという間だったと感じるんでしょうね。そんなこと考えながら令和の始まりを迎えました。
 もう一つ思うのは、この30年間で日本人の価値観もかなり変化してきたのではないかということです。私が言っているのは、高度経済成長やバブルを経験した我々世代ではなく、もっと若い世代のことですが、彼らが日本社会で多数を占めつつある、あるいは社会の中堅を担うようになりつつある現在、グローバリズムからよりローカルなものへ、集団主義から個人主義へと価値の基準が変わりつつあるような気がして仕方ありません。仕事も組織のために身を粉にして働くというスタイルからもっと個人の生活を大事にする方向へと意識が変わりつつあるように思えます。何故こうなってきたのかは一言ではなかなか説明できないと思いますが、若い世代は生まれた時から少なくとも物質的には殆どのモノが揃っていて、我々の世代のように物欲が強くないということもあるでしょうし、親の世代がリーマンショックやその後の不況で手痛い目に遭ったこともあると思います。また自分たちもひょっとすると就職氷河期に学校を出て、就職に苦労したということもあるかもしれません。
 私個人は日本も本当の意味で成熟社会に突入し始めたのではないかと思っています。この国の人口構成上多数を占めるいわゆる団塊の世代はまだまだ日本が貧しい中、経済成長と個人の物質的豊かさを求めて、時には個人の生活を犠牲にしてまでがむしゃらに働いてきました。しかし、ある意味、精神的には貧しい時代を引きずってきたのではないでしょうか。しかし、若い世代は違います。彼らはもう少し自分の生活を大事にしようという意識が強いと思います。その点、言葉が過ぎるかもしれませんが、貧乏人マインドを逃れているのではないでしょうか。逆に言えば、少なくとも物質的には足るを知る生活スタイルになってきているし、車やブランド物ではなく、自分の趣味にお金を使うようになってきています。
 政府がいくら経済成長を声高に唱えても、給与が上がらないということは差し置いても、なかなか物の消費は増えなくなってきています。大量生産される画一的な商品は彼らの興味の関心外のような気がします。彼らのニーズに合った商品やサービスを供給しない限り消費は増えないかもしれませんし、企業の側にも相応の努力が求められていると思います。同時に、経済成長という言葉で、高度成長やバブルを思い浮かべるのは最早幻想かもしれません。
 令和の時代は、やっと日本がたどり着いた成熟社会として相応しい経済システムとライフスタイルを作り上げるチャンスだと思います。何が国民にとって幸せなのか今一度しっかりと考えなおしてみたいと思っています。

2019年4月

 花冷えとは言え、満開の桜が咲き誇る中、新しい元号が令和と決まりました。平成も残すところあとひと月になってしまいました。
 前回、昭和から平成に元号が変わった時、ああ、これで昭和も終わりだなあと一しきり感慨にふけったことを思い出しました。しかし、今回は不思議とその時のような感慨は湧いてきませんでした。皆さんはどうだったでしょうか。もちろん、前回は昭和天皇が崩御されたことによる御代替わりということもあり、また自分が生まれた時代が明日から呼び名が変わるということもあって思いも一入だったのかもしれません。それに、というか、それにも増して、昭和という日本の歴史の中でも大激動の時代が終わるという思い入れもあったように思います。平成生まれの人達はあるいはそんな思いもあるのかもしれませんが。
 いずれにしても、令和の時代がこの国と、この国に暮らす我々にとってより良い時代になってほしい、そうしなければならないという思いで新元号発表を受け止めました。
 ところで、最近のニュースで特に気になることが一つありました。それは、中高年(満40歳〜満64歳)の引きこもりが61万3000人もいるということです。これはいわゆる団塊ジュニアの人達が学校を卒業する頃、日本はちょうど就職氷河期で、就職が非常に厳しかったこととも関係しているようです。そのこととの関連で思い浮かぶのは、昨日もテレビで新入社員の入社式の模様がニュースで流れていたことです。世界の中でも入社式がニュースになる、あるいはそもそも入社式なるものがある国がどれだけあるのでしょうか。こんな時代になっても日本は新卒者優先ですし、いまだに就職活動の解禁日をどうするかで揉めたりしている国です。最近でこそ企業は中途採用を増やしてきていますが、そもそも非正規だった人が企業に中途で正規社員として採用されるかどうかは相当厳しいのではないかと想像してしまいます。それが証拠に例えば40代の引きこもりの人達は20代前半で引きこもりになってしまった人が多いとのこと。
 このままでは、この人たちが高齢化したときにどういう事態が起こるか想像に難くありません。まして、今後AI化が進んで来ることを考えれば、何とかしてこの人たちに今のうちに職業訓練などを通じて社会に出るチャンスを作る努力が必要だと思います。
 日本は社会全体では人手不足だと言われて、外国人の労働者も増やそうとしていますが、 もっと若い引きこもりの人達(15歳〜39歳)の54万1000人と合わせると、なんと115万人を超える労働力が潜在していることになります。
 もう4月1日の新入社員入社式はやめて、少なくともニュースで取り上げるのはやめにして、社会全体でこの問題に取り組んでいく必要があると思います。
日本という国は、運が悪かった、の一言で人の一生を決めてしまうような社会ではなかったはずですし、そんな国にしてはならないと思います。
令和時代が幕を開けるに当たってそんなことを強く感じた次第です。

2019年3月

 注目されていた米朝首脳会談が終わりました。決裂という言葉が適切かどうかは分かりませんが、何の合意もないままに終わりました。一部に日本はこの結果を喜んでいるという報道があります。下手に中途半端な合意をされるよりは良かったとは思いますが、完全に行き詰まってしまったとすると、これはこれで今後の心配の種も残ります。つまり、北朝鮮がこれまでのような路線を変えない可能性が出てきてしまったということです。
アメリカが言うように、北朝鮮が核の完全放棄を約束することなく制裁の完全解除を求めたのか、アメリカが事前の予想を覆すようなより厳しい条件を突きつけたのか、本当のところはよく分かりません。国内の経済が悲惨な状態になっている北朝鮮と、国内で政治的に苦しい状況にあり、外交で成果を上げたいトランプ大統領と、合意の条件は整っていたのは間違いありません。とりあえず日本にとっては一安心というのが本心だと思います。
 ここで一つ頭の体操です。もし、米朝が何らかの形で合意し、朝鮮戦争の終結宣言でも出されたら、東アジアの政治情勢、日本を取り巻く環境はどうなるのでしょうか。合意の内容にもよりますが、もしアメリカが北朝鮮の核保有を容認し、ICBM(大陸間弾道弾)の開発断念だけで妥協する、つまり米本土の安全さえ確保されればよしとするとすれば、日本にとっては最悪のシナリオになります。北は核を保有したまま、いずれ遠くない将来に南北統一も実現するかもしれません。となると日本にとっては隣に核保有国が生まれることになります。その時は当然、在韓米軍は引き上げています。アメリカは世界の警察官の役割をやめようとしていますから、想定しておかなければならない事態です。もっと言えば、在日米軍だってどうするのか分からないと思います。中国との関係があるのでそう簡単には引き上げないでしょうが、その時日本はどうするのかまで考えておかなければなりません。
 あくまでアメリカに守ってもらうようにできることは何でもやるのか。アメリカ以外の国と同盟するのか。単独で自衛力を強化するのか。日本は戦後一貫して第一の道を選んできたし、アメリカの意向でもあったわけですが、今後もそれが可能かどうかは分からなくなってきました。トランプ大統領はしばしば日本に限らず海外からの駐留米軍の引き上げや米側の負担の軽減に言及しています。そしてこれは今後別の大統領になっても引き継がれていくのではないでしょうか。では、日本はどうするのか?アメリカ以外に信頼するに足る相手があるのか?自前で国防体制を強化するのか?その場合、どこまでやるのか?やれるのか?私自身もまだ確たる答えが用意できているわけではありません。
 米朝首脳会談は決裂したわけではない、と言われていますが、今後どうなるにせよ、日本はこれを自分の問題として捉えないといけない状況に置かれているということを再認識さすべきだし、自分でもよくよく考えてみたいと思っています。 

2019年2月

 通常国会が始まりました。今年は間に統一地方選挙や新旧天皇陛下のご退位、ご即位が予定されており、また7月には参議院選挙もあるので、かなり窮屈な日程での150日間になりそうです。
 そんな中、いきなり厚生労働省の毎月勤労統計のいい加減な、というか法律に違反した処理が大きな問題になっています。この件に関しての私の率直な感想を言わせてもらえば、霞が関もここまで無責任で杜撰になってしまったのかという大きな失望感です。
 言うまでもなく統計は政策のベースになるものであり、それが間違っていたり、実態を正しく反映していなかったりすれば、政策も誤ったものになってしまいます。何故こんなことが起きるのか、何が原因なのか、よくよく解明する必要があると思います。考えてみると、責任感と誇りは裏腹な関係にあるような気がします。誇りがなければ責任感も持てない。責任感がなければ誇りも持てない。誇りは自分の仕事に対する他からの評価に左右されます。統計という仕事は地味でなかなか目立ちにくいし、積極的な評価も受けにくいかもしれませんが、ここを間違えるとすべて間違えてしまう大事な仕事です。まさか意図的にやったわけではないでしょうが、ただ面倒くさいから、手間がかかるから手を抜いたでは済まされない問題だと思います。
 もう一つ、直近の話題として、細野豪志議員の自民党の派閥入りの件があります。一言でいえば、節操も何もない、自分だけの生き残りのためには何でもやるタイプの人なんだなあ、ということですかね。もともと節操とか信念があったのかどうかよく知りませんが、旧民主党から自民党に鞍替えした人は他にも何人かいます。本来は自民党から出たかったのだけれど、小選挙区制の下では難しかったのでしょうね。しかし、その人たちは往々にして民主党時代は盛んに自民党批判をやっていた人たちです。政治家に羞恥心や一貫性を求めるのは野暮だという人もいるかもしれませんが、少なくとも彼らを選んできた選挙民の人達はどうおもっているのかくらいは考えた方がいいと思います。私が彼らの選挙区の人間だったら、二度と彼らの言うことは信用しないだろうと思います。一度しかない人生なんだから、人間として恥ずかしくない、後ろめたくない清々しい人生を歩んだ方が、本人もよっぽどきもちがいいと思うのですが、そんなこと思うのは私だけでしょうかねえ。
 いずれにしても私にはまねのできない生き方であることは間違いありません。
それに引き換え、と言うと語弊がありますが、大坂なおみ選手の全豪オープン優勝はなんと清々しかったことでしょうか。試合後のインタヴューでの、奢らず、卑屈でもなく、それでいてちょっと恥ずかしそうな爽やかな応対も素晴らしかったと思います。
 誇りと恥は紙一重。いつまでも恥を知る人間でいたいなあ、とここのところの一連の出来事を通して改めて感じた次第です。

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